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山あげ祭

山あげ祭

指定 「烏山の山あげ行事」

◇昭和54年2月3日  国重要無形民俗文化財

平成28年12月1日 ユネスコ無形文化遺産

開催日 

◇今年は、7月24日~7月26日に開催予定でしたが、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、中止となりました。 

開演予定時刻及び開演予定場所

◇ 確定次第更新いたします。(6月中旬頃) 

開催場所 

◇那須烏山市内(烏山市街地)  

【由来】 【みどころ】
 永禄3年(1560)、烏山城主那須資胤が城下五町鎮守牛頭天王(素盞鳴命)を八雲神社にお祀りし、天下泰平、五穀豊穣、疫病消除を祈願したのが起源とされています。
 当初、奉納余興として相撲や神楽獅子などが行われていましたが、寛文年間(1661~1672)には踊りを上演するようになり、さらに元禄年間(1688~1703)には狂言が行われ、やがて享保から宝暦年間(1716~1763)にかけて歌舞伎舞踊がとり入れられ、同時に舞台装置や舞台背景も大規模になり、江戸時代末期頃に現在の野外歌舞伎の形態となりました。
 全国でも類例のないこの「烏山の山あげ行事」は、昭和34年栃木県重要文化財民俗資料第1号に指定され、昭和38年国選択の民俗資料、昭和54年2月には国重要無形民俗文化財に指定されています。
 また、平成28年12月にユネスコ無形文化遺産にも登録されました!
 山は所作狂言(おどり)の背景で、観客の前に据えられた舞台から道路上約100メートルの間に大山(おおやま)、中山(なかやま)、前山(まえやま)、舘(やかた)、橋、波などが配置されます。これらの装置には仕掛けが施され、上演中はその進行に伴い、木頭(指揮者)の拍子木を合図に様々に変化し、観客の目を楽しませてくれます。
 所作狂言が終われば、すべての道具類は片付けられ、次の上演場所まで移動します。この一連の作業を行うには、約150人の若衆が必要とされ、その一糸乱れぬ団体行動の妙技と、炎天下の中、踊り子達が常磐津の三味線にあわせ美しい舞を披露する姿は一見の価値があります。 
 なお、市内旧6町ごとに山あげ祭で演じられる演目が異なります。また、山や舞台装置の仕掛けが独自の発展を遂げており、各町の違い等を観ることも見どころの1つです。
将門昼

将門

将門夜

将門

吉野山狐忠信近景

吉野山狐忠信

吉野山狐忠信遠景

吉野山狐忠信

ぶんぬき

ぶんぬき

出御

出御

渡御

渡御

還御

還御

大山をあげる若衆

大山をあげる若衆

大屋台巡行

大屋台巡行

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