烏山城は、烏山市街地の北西に連なる丘陵(標高206m)頂上部に築かれた連郭(れんかく)式の山城です。東西約350m(最大幅)、南北約600mの範囲に五城三郭(古本丸・本丸・中城・西城・北城・常盤曲輪・若狭曲輪・大野曲輪)と呼ばれる曲輪群が存在しています。
それら曲輪群の周囲は、地形を巧みに利用した竪堀や横堀、堀切、土塁などが設けられ、本丸周辺には石垣を築くなど堅固な城砦を形成しています。万治2年(1659年)、時の烏山藩主堀親昌によって城の山麓に新たな居館(三の丸)が築かれました。
古本丸
西半に低い土塁が巡る。虎口は南に一か所あり、南の郭(本丸)に通じている。
本 丸
古本丸の南に位置する。南西に内枡形虎口があり、正門が建っていた。
絵図をみると一の門は櫓門で入母屋真壁造り。
門部には庇屋根がついていたことが分かる。
桝形から一の門虎口に沿って石垣が築かれている。
常磐曲輪
本丸の東下に位置し、本丸の表筋を守る役割を担っている。『正保の城絵図』には長屋があったと記されている。東西十七間南北十間、周囲は塀が巡っており、長屋の前にも仕切り塀があって塀重門が開かれている。
三の丸
万治二年(1659)、不便な山頂の居館を移すため、堀親昌が城山東山麓に造った郭が三の丸である。郭内は大きく二段に分かれる。
南側から東にかけて石垣を築き、総坪数三千七百四十四坪。
堀割は設けられなかった。
この中に六百七十坪の御殿が建てられた。
周囲には塗込壁を巡らし、表門・裏門・多聞長屋・土蔵などを設けた。
いずれも茅葺きもしくは木端葺であったらしい。
遺構
烏山城は山城のため、今も大部分が山林となっており、山麓三の丸を含め、曲輪跡や塁、堀が明瞭に残っていて十分に往時を偲ぶことができる。特に三の丸石垣、常盤曲輪石垣、本丸石垣は石垣が少ない県内の城郭の中にあって特筆に値するものである。
