烏山城跡

歴史

烏山城跡について

烏山城主年表 

 

城主名

称号

在任期間

事項

那須氏

1

資重すけしげ

沢村五郎

1417(応永24年)~1434(永享6年)

那須余一宗隆子孫、那須資氏二男。応永25年、烏山の寿亀山じゅきさん上に築城し、稲積城から本拠を移したと伝わる。

2

資持すけもち

越後守

1434(永享6年)~1467(応仁元年)

資重嫡子すけしげちゃくし。この代から那須氏を名乗る。

3

資実すけざね

伊予守

1467(応仁元年)~1494(明応3年)

資持嫡子すけもちちゃくし「二の丸」を築く筑紫山の八幡宮を宮原へ移す。

4

資房すけふさ

修理大夫

1494(明応3年)~1516(永正13年)

資実嫡子すけざねちゃくし。永正13年、上那須氏の断絶により、那須上下の圧を統一する。明応9(1500)年、天性寺を再興し、菩提寺(福泉坊)とする。

永正11(1514)年泉渓寺を下境から烏山へ移す。

5

政資まさすけ

壱岐守

1516(永正13年)~1546(天文15年)

資房嫡子すけふさちゃくし。永正13年より、上那須の山田城主となる。

6

高資たかすけ

修理大夫

1546(天文15年)~1551(天文20年)

政資嫡子まさすけちゃくし。天文18年(1549)9月、五月女坂の合戦で宇都宮尚綱を討ち取る。天文20年1月、千本常資俊の館にて謀殺される。

7

資胤すけたね

1551(天文20年)~1583(天正11年)

政資まさすけ二男(森田二郎)。高資の死去により、家督を相続する。永禄3(1560)年、大桶村の牛頭天王を城下に勧請する。

8

資晴すけはる

1583(天正11年)~1590(天正18年)

資胤嫡子すけたねちゃくし。天正13(1585)年12月、滝の太平寺にて千本資俊・隆継を謀殺する。天正18(1590)年、豊臣秀吉に小田原遅参をとがめられ所領を没収される。

織田信雄

 

1590(天正18年)~1591(天正19年)

織田信長二男。小田原戦役後の論功行賞で、豊臣秀吉の怒りをかい尾張国清州から転封となる。翌年、秋田へ移される。

成田氏

1

氏長

下総守

1591(天正19年)~1595(文禄4年)

成田長泰嫡子。会津福井城から転封となる。文禄元年(1592)、文禄の役で肥前名護屋城に参陣する。長忠を養子として家督を相続させる。

2

長忠

左衛門尉

1595(文禄4年)~1616(元和2年)

氏長弟。慶長5年(1600)、関ヶ原の戦で徳川方に属し、下野国にて上杉景勝の南下に備える。戦後、本領を安堵される。

3

氏宗

左馬介

1617(元和3年)~1622(元和8年)

長忠二男。徳川方として大阪冬の陣、夏の陣に出陣し、戦功を挙げる。家督問題で改易となる。

松下重綱

石見守

1623(元和9年)~ 1627(寛永4年)

松下之綱二男。常陸国小張から転封となる。陸奥国二本松へ転封される。

堀氏

1

親良

美作守

1627(寛永4年)~ 1637(寛永14年)

堀秀政二男。豊臣秀吉に近侍し、天正19年(1591)、羽柴氏と豊臣の姓を下賜される。下野国真岡から転封となる。

2

親昌

1637(寛永14年)~ 1672(寛文12年)

親良嫡子。寛永17年(1640)、追手門と神長門を創建する。万治2年(1659)、城の山麓に三の丸を築く。信濃国飯田へ転封される。

板倉氏

1

重矩

内膳正

1672(寛文12年)~ 1673(延宝元年)

板倉重昌しげまさ嫡子。三河国中嶋から転封となる。寛文12年12月、老中に列せられる。

2

重種

1673(延宝元年)~ 1681(天和元年)

重矩しげのり二男。城下の区画整理を実施し、城下町の体裁を整える。武蔵国岩槻へ転封される。

那須氏

1

資祇

遠江守

1681(天和元年)~ 1687(貞享4年)

増山正利弟。下野国福原から転封となる。滝の太平寺に天蓋を寄進する。

2

資徳

与一

1687(貞享4年)~ 1687(  〃  )

津軽信政三男。家督問題で改易となる。

永井直敬

伊賀守

1687(貞享4年)~ 1702(元禄15年)

永井尚庸二男。河内国から転封となる。5代将軍徳川綱吉に近侍する。播磨国赤穗へ転封される。

(比企長左衛門)

幕 府

代 官

1702(元禄15年)~ 1703(元禄16年)

永井氏転封により城主不在となり、一時期幕府代官の管理下に置かれる。

稲垣氏

1

重富

対馬守

1703(元禄16年)~ 1710(宝永7年)

稲垣重昭嫡子。上総国大多喜から転封となる。

2

昭賢

摂津守

1710(宝永7年)~ 1725(享保10年)

重富嫡子。志摩国鳥羽へ転封される。

大久保氏

1

常春

佐渡守

1725(享保10年)~ 1728(享保13年)

大久保忠高嫡子。近江国三雲から転封となる。8代将軍徳川吉宗の信任厚く、若年寄、老中職を歴任する。

2

忠胤

山城守

1728(享保13年)~ 1759(宝暦9年)

常春嫡子。享保~宝暦年間、都合4度の大阪加番を仰せ付けられる。

3

忠郷

伊豆守

1759(宝暦9年)~ 1769(明和6年)

忠胤二男。宝暦12年(1762)、宮原八幡宮に麾を奉納する。

4

忠喜

山城守

1769(明和6年)~ 1805(文化2年)

忠郷弟。領内に心学を導入し、領民の教化を図る。

5

忠成

佐渡守

1805(文化2年)~ 1827(文政10年)

松平忠恕三男。忠喜の養子となり家督を相続する。藩政改革を実施し、財政の立て直しを図る。

6

忠保

1827(文政10年)~ 1848(嘉永元年)

忠成嫡子。天保8年(1837)、二宮尊徳の助力を得て領内に報徳仕法を導入し、荒廃した農村の復興を図る。

7

忠美

1848(嘉永元年)~ 1864(元治元年)

忠保三男。安政2年(1855)、城下の繁栄を願い日光から毘沙門天を勧請する。

8

忠順

1864(元治元年)~ 1869(明治2年)

忠美嫡子。版籍奉還により烏山藩知事となる。後に子爵となる。

烏山城主年表 [PDF形式/1.72MB]

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