市指定 史跡
天明4年(1784)三河国(現愛知県)の刈谷藩士矢野家に生まれ、大久保家の重臣菅谷家の養子となり八郎右衛門を襲名し、烏山藩の家老になりました。菅谷の功績は、天保7年(1836)からの「烏山仕法」の導入・展開に尽力したことです。仕法開始間もなく、藩士が推進派と停止派に分裂して粉砕し、同9年、推進派の中核であった菅谷は解任・謹慎を命ぜられ、さらに翌年には、領外追放の処罰を受け、仕法も停止されました。3年後には仕法が再開され、金次郎の要請もあって再び家老に復帰しました。しかし、当初のような盛り上がりや成果は見られず、弘化2年(1845)、隠居届を出して辞職しました。金次郎への多額の借財返済など、自責の念から神経症気味となり、嘉永5年(1852)69歳で生涯を閉じました。天性寺に「良温院恭獄勇謙居士、延寿院鶴山遷命大姉」と刻された菅谷夫妻の石碑が建立されています。
指定番号:第14号
指定年月日:昭和37年3月8日
所在地:那須烏山市南
所有者・管理者:天性寺
