烏山城

 応永25年(1418)、那須氏一族の沢村五郎資重によって築城されたと言われる烏山城。その後は、織田・成田・松下・堀・板倉・那須・永井・幕府代官・稲垣氏と短期間のうちに城主が交替しましたが、享保10年(1725)大久保常春入封の後、大久保氏が8代140年余にわたり城主を勤め、明治2年(1869)の版籍奉還とともに廃城しました。
 烏山城は、町の中心より北西に位置する八高山に築かれた山城で、山の形が寝ている牛の姿に似ていることから「臥牛城」とも呼ばれています。城域は、東西約370m、南北約510m、面積約88haに及ぶ広大なもので、肥前や「かわらけ」と呼ばれる素焼きの皿も発見されています。また、同一の城で石積みの手法が3種類混在しているのは、専門家や城マニアにとっては大変珍しい城跡として知られています。
 平成30年には築城600年を迎えましたが、城跡には空堀・土塁・石垣などの各遺構が良好な状態で残っています。八雲神社北側から毘沙門山・城山に至る遊歩道が整備されていますので、城跡を見学しながら散策することもできます。

「全景」の画像

全景

「カワラケ出土」の画像

カワラケ出土

「三の丸石垣」の画像

三の丸石垣

「吹貫門脇の石垣」の画像

吹貫門脇の石垣

スマートフォン用ページで見る