指定文化財

大田原氏累代の墓碑

市指定 史跡

 大田原氏累代の墓碑(2)

 天正18年(1590)那須氏の改易にともない、森田城が廃城となった後の慶長けいちょう5年(1600)、大田原城主綱清の次子増清は、関ケ原戦の功により、森田村などで千石の知行地を与えられました。その時、小塙館(森田陣屋)を築き、以後同所を累代の居館としました。芳朝寺は、大田原氏領となって以降は大田原市の菩提所となりましたが、元禄16年(1703)清勝(4代)の時、芳朝寺八世知門和尚と謀り、森田城跡中腹の現在の位置に移築されました。芳朝寺境内には、初代増清をはじめ大田原氏累代の墓碑30基が鬱蒼とした木立の中に静かに立ち並んでおり、中世・近世の歴史を物語る貴重な史跡です。

  • 指定番号:史第7号
  • 指定年月日;平成4年6月24日
  • 所在地:那須烏山市森田
  • 所有者・管理者:芳朝寺

 

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