指定文化財

耕便門の碑

市指定 史跡

 147 耕便門.JPG

 烏山城主大久保忠成(5代)は意を殖産に用いました。以下は若林文書に基づいた新田開発のための隧道掘削の経過のあらましです。「この事業は、忠成が領内巡視の折、巻渕まきぶちの上から地形を見分して、郡方へ調査するよう命じて以来具体化してきた。精密な設計図が出来たところで、赤坂町根本小右衛門と大沢村平山助之丞(のち、士分に取り立てられ林泉右衛門と改名)の2人が工事を請け負った。工事費用は、馬頭村近江屋重次郎が引き受けた。文政8年(1825)3月、平山助之丞は、出口から北に向かって、巻渕の入口からは根本小右衛門が南に向かって掘り進めた。昼夜兼行の突貫工事の結果、翌文政9年6月、1年3か月の短期間で、全長224間(約405m)の難工事は完成した。」この水を利用し、当時27町歩余(現在約40町歩=約40ヘクタール)の美田が開かれ、数軒の水車屋も開業し、藩財政を少なからず潤すことになりました。碑は、隧道出口近くに建ち、碑文と書は当時諸侯三筆の一人といわれた大久保忠成のものです。水田の開発に城主自らがかかわり、完成を祝して記念碑に揮毫したことに大きな意義があります。碑文(読み下し)「邨落そんらく嘗て巖石を頡鑿けっさくして開き、水脈を通じて耕耨こうどうの便成る。故に文政八之酉の年を以て其の事業を創め、文政丙戌の年に及び竣功す。新たに数畝を開田す、是に於て其の所に名づけてしか云う。」

  • 指定番号:第53号
  • 指定年月日:昭和45年3月13日
  • 所有者・管理者:烏山土地改良区堀抜地区委員会
  • 形状・寸法:高さ175cm、幅120cm

 

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