指定文化財

放下僧館跡

市指定 史跡

 146 放下僧館跡.JPG

 荒川右岸の河岸段丘上に立地し、東・南・北の三方は急崖に囲まれ、自然の地形を利用した要害の館です。西は二重の土塁と空堀を廻らしてありましたが、昭和20年代に削平され、現在はわずかにその痕跡をとどめるばかりです。「那須拾遺しゅうい記」によると、鎌倉時代初期、那須森田(現在の大里)の住人牧野左衛門勝重が、湯治先の上州伊香保温泉において相模国の利根大膳伸俊と口論の末、闇討ちにあってしまいました。勝重の二子、次郎丸と小次郎は成長してから放下僧ほうかぞう(禅僧の姿で「こきりこ」という竹片を打って種々の踊りや雑芸をして物を乞い歩く者)に身をやつして諸国を遍歴、父の仇を探し回りました。やがて、武州金沢村瀬戸の三島明神の境内において遂に仇を討ち、兄弟はその首級しるしを郷里に持ち帰り、父の墓前に供えて弔いました。時の烏山城主那須之隆は兄弟の忠義を讃え、兄の次郎丸に烏山に永楽百貫の地を与えて牧野家を再興させたとあります。室町時代の謡曲「放下僧」にも以上のような筋書きが展開されています。なお、これには異説があり『写本那須系図説』によれば、烏山城主那須資胤の子牧野顕高が刃傷沙汰で殺害され、顕高の子が放下僧に身をやつし、伊豆の国三島にて父の仇を討ったということになっています。いずれにしても、館跡には小さな社(浄下稲荷じょうがいなり)があり、この地に居を構えた牧野左衛門の子が父の仇を討ったことについては事実と思われます。

  • 指定番号:史第5号
  • 指定年月日:昭和43年9月1日
  • 所在地:那須烏山市大里
  • 所有者・管理者:個人

 

問い合わせ先

このページに関するお問い合わせは生涯学習課 文化財グループです。

南那須庁舎2階 〒321-0595 栃木県那須烏山市大金240

電話番号:0287-88-6223 ファクス番号:0287-88-2027

メールでのお問い合わせはこちら

アンケート

那須烏山市ホームページをより良いサイトにするために、皆さまのご意見・ご感想をお聞かせください。
なお、この欄からのご意見・ご感想には返信できませんのでご了承ください。

Q.このページはお役に立ちましたか?