大久保次郎左衛門の墓
市指定 史跡
天明8年(1788)、烏山城主大久保家の一族として生まれました。天保8年(1837)から、年寄役の立場で烏山仕法の推進に尽力し、推進派の中核、菅谷家老が隠居・謹慎の処分を受けてからは家老として重責を担いました。天保10年(1839)12月、仕法に反対する江戸家老大石総兵衛が国元に来て、推進派の説得に当たりました。次郎左衛門は「藩は仕法実施以来、二宮金次郎との約束の分度を確立しないまま、苦しくなったからと仕法を停止するのは全く納得できない。藩の上下心を一つにして仕法を継続すべきである。」と強く反論しました。重役会議でも継続を主張した後、書状を提出して登城を拒否し、城主忠保と前城主忠成に退役願を出しました。しかし、大石家老は、金次郎に対する「指導辞退」という城主下命書(直書)を最後に示して停止を強行しました。3年後、仕法再開の機運の高まりを受け、次郎左衛門は再び責任者となり、菅谷家老を復職させ、江戸で「烏山仕法」を再開しました。しかし、藩士らの盛り上がりは見られず、借財の返済に苦労しました。弘化4年(1847)7月、55歳で死去し、烏山の妙光寺に埋葬されました。
- 指定番号:第66号
- 指定年月日:昭和50年4月8日
- 所在地:那須烏山市南
- 所有者・管理者:妙光寺
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- 2022年11月30日
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