指定文化財

圃租法変更紀念碑実記

市指定有形 歴史資料

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 烏山領で起こった、畑方米納の永納えいのう(金納)への変更訴願は長い歴史をもっています。事の起こりは、元和年間(1615~1624)、成田氏の代に米価が下がったので、畑方年貢も米納に願い出たことに始まります。その後、米価が上がると、農民たちは再び畑方年貢の永納への変更を願い出ましたが、実を結びませんでした。しかし、明治2年(1869)に至り、畑作中心26か村の畑方年貢金納嘆願の決意は固く、代表者は犠牲を覚悟で地元烏山藩役所、江戸の烏山藩邸、新政府(民部省・弾正台)に対し訴願を展開しました。江戸における訴願運動の中心的人物は、大沢村板橋政右衛門・向田村土屋倉蔵・上境村石川政七・下境村池沢惣吉の4人でした。身命を賭した言語に絶する闘争でしたが、訴願は貫徹しませんでした。首謀者は処分され、板橋政右衛門・石川政七・池沢惣吉は准流7か年の刑を申し渡されましたが、惣吉は老齢であるとの理由で自宅謹慎となりました。土屋倉蔵は、闘争の本意を後世に伝えるために逃走しましたが、その後の行方は不明です。この「圃祖法変更紀念碑実記ほそほうへんこうきねんひじっき」は、赦免後、政右衛門が口述し、宮原八幡宮の雑掌大谷津房治が筆記したものです。農民闘争の顛末を、詳細に綴った記録として得難いものといえます。明治34年(1901)、永納嘆願に奔走・尽力した人々の功績を称える記念碑が、宮原八幡宮境内に建立されました。

  • 指定番号:第100号
  • 指定年月日:平成元年3月3日
  • 所在地:那須烏山市大沢
  • 所有者・管理者:個人

 

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